ヒストリー 歴史 HISTORY
HISTORY 寛衆堂と金光氏の由来 (歴史・ヒストリー)
寛

清和源氏・第二代・源(多田)満仲の庶子の一人は今の大阪府北部の能勢に居を構え能勢氏と称しました。

 戦国時代にその子孫に能勢修理という武将がいました。修理の弟の宗高は手勢を率いて岡山に移り住み岡山城主となりました。城内の二ノ丸に金光山岡山寺という名刹があり、宗高はそれにちなんで金光氏を称しました。これが清和源氏・金光氏の始まりです。

 その後、宗高の子孫は武士を捨てて全国各地に散らばりましたが、私の祖先は九州・福岡に移り住み大地主の庄屋として暮らしていました。

 江戸時代にそこから分家した金光玄端は日田(現大分県日田市)の広瀬淡窓先生の咸宜園に学び漢方医となり、寛政元年に郷里で寛衆堂病院を興しました。

 これが金光氏と二百年・七代続く寛衆堂の名前の由来です。

末裔として、時流におもねることのない誠実な診療を旨として日々努めております。

 


医術の神「アスクレピオス」

医神 アスクレピオスの像

 

 ギリシア神話において太陽神アポロンの息子として誕生し、医術を司る神アスクレピオスはラテン語でアスクラビウスとも読み、昔から医学の守護神として信仰されてきました。古代ギリシアでは病院を「アスクラピア」と呼び、現代においても医の象徴的存在として広く息づいています。 

 特に左手に持つ「アスクレピオスの杖」は日本医師会、病院、医科大学の紋章やデザイン等に広く使用され、WHO(世界保健機構)・WMA(世界医師会)始め世界中の医療機関のシンボルマークにされています。

 杖にまとわる蛇は傷ついても脱皮して元通りになるため「再生と治癒」の象徴とされたと言われます。  

 医神アスクレピオスの生誕の地とされるギリシャのペロポネソス半島東部に位置する「旧エピダウロス市」と姉妹都市である兵庫県・篠山(ささやま)市には、ギリシャの有名な彫刻家ムスタカス氏制作によるアスクレピオス像が立ち、「友好のシンボル」として大切にされています。 

 使用しているアスクレピオス像は君津寛衆堂医院の当ホームページ制作に際し、篠山市のご厚意を賜り画像データを提供いただいたものです。 

 医の原点に思いを寄せる省察のシンボルです。